うちのめされながら暮らしをしていると、ときどき、なにかのタイミングでどこからかメッセージがやってくることがある。
わたしは、ニーナのことを思い出していた。そしてこのタイミングでこのビートルズがながれてきた。
なぜ、死に意味をもたそうとしてしまうんだろう。
それはずるいことなのかもしれないけど、ずるいということ、それすらどうでもいいと思えるくらい疲れている。
もう別に、他人をゆるさなければいけないのならば、自分のこともゆるしてやってもいいのではないか。自分以外の誰かがふりかざす正義やらなにやらの太刀やらナタやらジャッジにいちいちかぎ裂きになっていることもないのではないか。
ニーナには毎日感謝している。彼女のやさしはかみさまなんかまるでおよばない。